図書室の君。それは彼の通り名で、特に女子学生からそう呼ばれていた。東堂の日課はその日の授業が終わると図書室に行くことだ。だが、最近は新しく、藤ゆきに会うという日課もできつつあった。東堂はスポーツから勉強に至るまで挫折したという経験がない。負けても、敗因を分析し、彼自身それに見合うだけの努力はしているので、周りからどれだけ才能がある、と言われても、彼自身は努力の賜物だと自負している。東堂からして藤ゆきという人間は羨むべき人間だった。率直に言えば、東堂は藤のような真っ直ぐで情熱的な気持ちに溢れる人には会ったことがなかった。だから、声をかけた。実は、藤ゆきは学年一の努力家、として知られていた。

「数学、苦手なの」
「えっ…」

東堂はにこりと笑い、顔に書いてあるよ、と言った。恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにする藤の隣に座り、数学を教えた。それが東堂と藤のコンタクトだった。それからずっと続いてる習慣となっていった。彼女は東堂より下の学年だが、東堂と同じく努力家であった。

「先輩を好きな気持ちは誰にも負けません!」
「うん、それだけは君に負けるよ」
「今度の学年テストで1番になったら、付き合ってくれます?」
「さぁ」
「先輩は彼女いないじゃないですかー。なんでそんなにつれないんですかぁ」
「考えとくよ、ほら、それよりこの公式覚える?」

こんなふうに東堂と藤の図書室での時間は過ぎてゆく。けれど、それも束の間のことだと二人はなんとなく知っていた。東堂の進学問題だ。彼は外国に進学するとのもっぱらの噂だった。藤は東堂とこの話をしたくなかった。すれば、彼が手の届かない所へ消えてしまいそうだったからだ。卒業式が近くなってきて、意外にも東堂がこの話題をふってきた。

「みんな、噂してるよね。僕が外国に行くんじゃないかって」
「……」
「だからごめん。君の気持ちには応えられないんだ」
「外国行きは本当だったんですね、なんか、泣けてきちゃいました。彼女でもないのにおかしいですよね」
「…そうだね」
「そうだですよね」

東堂は、本当はもっと君の側に居たい、と思う気持ちと言葉を押し殺し、藤が落としている雨粒にそっと唇を押し当てた。