父が死んで何年もたった頃、わたしの家は没落していった。俗に言う没落貴族という奴だ。母はどこかの貴族の愛人となってわたしと、父の家を棄てて出て行った。不思議な事に悔しいとかそう云う気持ちは全くなく、母は借金の担保になった家を守るため(多分わたしのために)借金の返済を条件に、売られていったのだ。なのに、母の犠牲は無意味で、貴族の裏切りで家が借金の形に取られていく事を知った母は悲観して自殺したことを聞いた。頼るアテはもう無いのだ。
もともと期待なんてしてなかったけどまだ、肉親が生きていてくれるという思いが、ほのかな期待となって残っていたのかもしれない。
外に出た事も無く、世間知らずなわたしがお金を稼いで生きていく事はすごく難しい事だと安易に想像できた。だたでさえ貴族、王族の横暴で不況だというのにわたしを雇い入れてくれるようなとこは必然的にああいうとこしかなくなるのだ。
夕方の静けさがひしひしと身に染みてくる。
ようやくたどり着いたそこは息を潜めている街とは違い開放される時を今か今かと待ちわびていた。そこは名の知れた娼館で、ついた瞬間にああここだと観念にも似た様な感覚が一瞬襲った。そじて、わたしは不安と希望の様なものが入り混じりながら扉を恐る恐る開けた。
娼館の中は想像していたのと全然ちがうくて、コーヒーの匂いと木の匂いが調和している素朴なんだけど暖かいカフェみたいな感じで少々面食らった。
「なんだい?まだ店には誰も来ちゃいないよ」
主人らしき女の人はカウンターの席に座り爪の手入れを丹念にしながら見向きもせず答えた。
「いえ、あの、私・・・・・」
「女かい!」
爪の手入れ道具を落してしまうほど驚いた女は座っていた席を離れカウンターに入って私にその席にすわりなと言ったきり黙ってしまった。3秒遅れで漸く意味を理解したわたしは言われるとおりにさっきまで女が座っていた席に腰を下ろした。
「あの、私、働きたいんです」
「ここがどこだか分かって言ってるのかい」
「・・・・・・」
「・・・あんた、本気で娼婦になるんだね?事情は知らないがそうそう止められないよ。それでもかい」
「はい・・・」
「娼婦になるって事はね、体を売る事なんだよ」
「・・・・・ま、それでもやると言うんなら止めやしないよ」
今度こそわたしは口をつぐんでしまった。わたしに娼婦になる以外でどうやって生きて行けと言うんだろうか。これから何十回も後悔するかもしれない、それは分かってる。でも、わたしにはどうする事もできない。
「そうだね・・・。まずその体を洗っておいで、一体何日入ってないんだい? それと適当に衣装も持って行くんだね。その服じゃねぇ・・・。風呂は奥の部屋にあるから、その横が衣装部屋だよ」
「ありがとうございます」
「礼言われる事でもないんだけどねぇ。わかったらさっさと行く」
それだけ言ってまた爪の手入れをしている女(きっと主人)を尻目に暗いカウンター奥の廊下に入っていった。
「(ああ、本当にあの人の言ったとおりだ・・・。何日お風呂に入って無かったんだろう)」
わたしはいつの間にか自分の肌がこんな色をしてたんだと、長い間忘れてたような錯覚に陥ってて、お風呂を上がった時は震えが止まらなかった。
「ホンットあんた美人になったねぇ! 赤のドレスも映えてるよ」
女主人は満足そうにそう言うと、「本当に美人だね・・・・・。これだったら相当稼げるよ。まるでどこか貴族様の娘みたいな気品もあるじゃないか。みちがえたねぇ」などなど言うもんだから困惑してしまった。
「あんた、あの格好じゃまともなご飯にもありつけてなかっただろう。簡単なものでも作ってあげようか。 ところで、あんた名前は?あーあ、下の名前はいいからさ」
「セシリア・・・です」
稼げる商品だと分かってから突然馴れ馴れしくなった女主人のことより、空腹に負けだされたナポリタンをほおばる事に集中していた矢先、扉が開閉する音が娼館内に響き渡った。
「お客さん、まだ準備中」
「すぐすむから」
「カッセル大佐じゃないですかー!マリアーヌはまだ来てませんが?」
カッセル大佐と呼ばれた多分男(声で分かった)は女主人と対等に話している―・・・・・。いや、女の方が大佐だと分かった瞬間声色を変えたことに驚き、わたしはナポリタンを咥えたまま(気づかなかった)後ろを振り向いた。少ししか話してないけど、あのしゃべり方を圧倒的に封じ込めれる人はそんなにいないと思ったから。
「今日は違うんだよ、ミス・エリスカーラ。 ところでこのお嬢さんは?」
「ああ!彼女は今日入ったばかりの新人で―挨拶はッ!」
わたしはカッコいい人がいきなり前に来たのと女主人――ミス・エリスカーラの勢いに押されて口に入ってたナポリタンを危うく喉に詰まらせそうだった。
「ッゲホゲホッ」
「セシリアッ!あなたって娘は」
「はは、いいんですよ。 セシリア・・・・いい名前だ(ああ、そうだ。あの時見た顔だ)」
彼はいいんですよ。あたりから手で座ったままのわたしの顎を引き寄せたのだ。痛くもなく優しすぎず。
ふとその手を離されてわたしは少し、不安になった。まるで彼が行くのを拒んでるように。
「ミス・エリスカーラ、この娘買いたいんだけど、いくら?」
「マリアーヌ以外なんで珍しいですね〜・・・。この娘は新入りだし、一晩」
ここで使われる買う買わないが意味してる言葉は寝るか寝ないか。娼館だから買われた女は何をするべきかぐらいは知ってる。(それは限りない可能性で嫌なのだ)でも、もう一方でカッセル大佐という人に抱かれてもいいと言う気は限りなく0に近いのに無くは無いのだ。どうせ一晩限り、それにカッコいいしお金のためでもある。ていうか大佐と呼ばれてる人なんだから軍人ですよね。いいんですか。娼婦なんか買ってて、でもそんなことは今更この国では普通だから非難される事もする人もいないと思うのだけれど。
「一晩じゃない、そこは勘違いしないでもらいたいね」
「は、じゃ、じゃあ何晩で?」
「一生だよ。彼女を一生分買いたいんだ」
「大佐・・・・!それはなんでもっ、軍人が娼婦を一生を買ったとなれば」
「何の問題があるかい? ここには僕と、ミス・エリスカーラとセシリアだけ。誰かが漏らさなければいい話だ。彼女は初めからここには居なかった」
ミス・エリスカーラは困ったような悔しそうな顔で少しの間考え込み、
「・・・分かりました。いくらで買われます?」
「話が分かる女性は好きだよ。・・・・・衣装代込みで三千万」
「五千万」
「四千万」
「五千五百万」
「・・・六千万でどうだい」
そこまで言うとミス・エリスカーラは観念したようにキャッシュは無理だろうから小切手でいいわ。と大佐に言い、大佐はすっと内ポケットから小切手を切ってミス・エリスカーラに渡した。
「セシリアに期待して損した」
と拗ねた口調で言うミス・エリスカーラに大佐は笑顔で彼女はもらって行くよと言い残した。その爽やかさにすっかり見惚れているとわたしの手の二の腕辺りを引き寄せながら娼館を出て行った。