空気が肌を刺す。冬の空気になった、とセシリアは思う。あのまま、少し時が過ぎたと思う。けれど、実感が無いのだ。この家は時間が泊まっている。相変わらず、あの人とわたしの間には何も無い。わたしは混乱する。けれども、いつの間にか安心して寝ているのだ。慣れてはいけない、と警告が頭の中で鳴っている。わたしはその警告を無視したいと思い始めている。怖い、とセシリアは思う。


「もう少し居て・・・」
冷たい素振りのリッドに私は声を出す。けれど彼は帰らなくちゃ、と言い私には目もくれず娼館を出て行くのだった。いつものこと。
今は夜というわけではない。しかし、ここは賑わっている。濃密な時間に居るのだ。その空間に押しつぶされそうになるあたし。リッドに会わなければ、窒息死しそうだ。
彼がもう来ないと思ってた日々は怖かった。抱いてくれなくなると思っただけで、押しつぶされそうだった。けれども、彼は来た。
結婚する前との違いなんて無かった。けれども、帰る彼を見てると奥さんに全てを独占されてるようで、悔しかった。

「マリアーヌ」
「・・・なぁに」わざと冷たい声を出す。そうすると、あたしの事を見てくれそうな気がする。彼の気を引くための、悲しいと自分でも自虐的になる方法。
「マリアーヌ・・・また来るよ」
マリアーヌは、さっきまでリッドと寝ていたベットにうずくまった。せめて次の相手が来るまで彼と居たことを胸に刻みたいと思った。


アーデレは相変わらず、淡々と家事をこなす。わたしはすることがない。けれども、最近は彼女の表情がわかる様になってきたのだ。昼間も夜も怖い。夜はリッドさんと会わなくてはならない。彼は、今日わたしが感じたことを聞きたがる。そして、最後には「今日も眠る前に君の顔を見れて良かったよ」といって眠る。わたしはその隣で何もできない焦りと申し訳なさを抱えて眠る。

「ねぇ、アーデレはこの生活で幸せ?」
「奥様。わたくしのような者でもリッド様に仕えさせて頂くことが出来てる限りは幸せにございます」
「・・・そう。リッドさんはアーデレさんにとって大切な人・・・」
「奥様、私のことは呼び捨てで結構です。私はあの方の使用人でございますから、主人を大切に思うのは当たり前です。それに、奥様がどう思うとも私はリッド様に仕えることが出来て幸せなのです」
「ごめんなさい、あなたを非難するつもりなんてないわ、わたしはただ」
「申し訳ございません奥様、今から市場に買い物に行ってきます」
「ええ・・・」
アーデレを少し怒らせてしまった。彼女とはどうしたら仲良くなれるのだろう。あの日以来、わたしはアーデレの買い物についていってない。あの人・・・リッドさんを心配させることになるかもしれない、と思うと申し訳ないから、どうしても買い物に行く気になれないし、アーデレも快く思っていない。次の日に、きつく言われてしまった。


「腐ってる、と思わないの」
「何をいまさら」
「なんでそんなに冷静でいれるの!?政治は腐ってるし、軍も不正だらけ、あなたは」
「エミリア、いくら正当な理論を振りかざしても通じないんだよ。そういう世の中だ。けれども僕はそんなに嫌いではない。変えようと思わないし変える力も持っていない。そんな僕も腐ってると思う?」
「・・・・・・っ」
「・・・泣かないで」
「       」


朝方、泣いて目が覚めたのはこの夢を見たせいだと、エミリアは思った。
もう10年前の夢だ。
私は希望を持っていた。夢を持っていた。あのときの未来は確かに明るかった。この国がこんなになったのは15年前。動乱と片付けるには大規模すぎて、国内戦争と形容した方がしっくりとくる。私は、確かにこの国が好きだった。けれどなにもかも変わってしまったし、その中ではもう生きていくのが苦しかった。

「ニュースの続きをお伝えします。今朝方に西地区で大規模なテロが発生し」
有力貴族の一人が殺された後のニュースが、西地区で起こったテロの情報を流している。
「おい!テロは東で起きるという情報源は誰が寄越してたんだ!」
この国の情勢は不安定だ。現国王のカリスマ性と、強大な軍事力、国民の無関心というバランスで成り立っている。けれども、反政府活動はそれほど活発ではなく、5年前からは単発テロが発生するのみであり、今回の様な大規模テロは珍しかったが、政府はこのテロで現在の安定をもたらしている微妙なバランスが崩れるのを、恐れている。
「エミリア大佐、政府から招待状とドレスが届いているのですが・・・」
「そんなものは適当において置けっ!」
この国は、腐ってる、と思う。テロが起きようと庶民が死のうが特権に関ること以外は興味が無い連中が国を牛耳っている。ふと、リッドのことが気になった。あいつはいまでも、平然としているのだろうか、と。

「ただいま」
「リッド様、お帰りなさいませ」
「ああ」
リッドはいつものようにコートをアーデレに預けて、夕食の席につく。セシリアの目の前だ。小指を切って以来、彼女は料理をしたのだろうか。聞いてみようと思ったが、やめた。そもそも彼女が昼間、自分がいない間に何をしていようが、関係ないと思う。毎晩セックスの代わりに今日あったことを聞くのが日課だが、彼女が話したくなければそれでいいとも思っている。

「アーデレ、明日は帰りが遅くなる」
「承知いたしました」
「セシリア、社交場に興味は無いかい?」
「社交場・・・?」
「ああ、今日招待されてね。妻を連れて行くのは普通だろ?」
「わたしは」
「無理にとは言わないよ」
「行きます」
「そうか。じゃあ、ドレスを買っておいで」

なにか、動きたかった。家にいれば時間に押しつぶされそうで怖かったから。